【君が代とゴッド・セイブ・ザ・キングの関係】【80年前の記憶】~Chihiro Sato-Schuh

「憲法改悪」と「スパイ防止法」は統一教会=自民党の悲願,ブログ

The relationship between Kimigayo and God Save the King] [Memories of 80 years ago] – Chihiro Sato-Schuh

君が代とゴッド・セイブ・ザ・キングの関係

The Relationship Between Kimigayo and God Save the King

事実として、太平洋戦争は天皇が最高責任者として起こした戦争で、国民は最高権力者である天皇の命令に従って、戦争を行なった。それで敗戦になり、天皇は戦争責任を負うべき立場なのに、廃位にもならなかった。そして、日本は新しい国家を作ったのにもかかわらず、大日本帝国時代の天皇を崇める歌を国歌にしているという奇妙さがある。それが、日本の多くの人々が、君が代に抵抗感を感じる理由だ。
(中略)
日本の「君が代」は、イギリスの「ゴッド・セイヴ・ザ・キング」と同様な君主制の歌なのだ。これを日本の国歌として受け入れたくない人たちがいるのは、もっともなことだと思う。

日本を、本当に独立した一般庶民のための国にしようと思うなら、「君が代」を国歌として復権させようとするのではなく、オーストリアやロシアの国歌みたいに、誰でも愛郷心を共有して歌えるようなニュートラルな歌を新しく作るべきなんじゃないかと私は思う。国歌とは、国を愛し、国を守ろうという意識をかき立てるものだと思うけれど、いろいろな国の国歌を比較してみると、その国が何を守ろうとしているのか、それぞれの国歌の中によく現れているのがわかる。どんな歌を国歌にするのかは、どういう国にしたいのかということと、実は深い関わりがあるのだ。これは、軽視するべきことではないと思う。

80年前の記憶

Memories of 80 years ago

第二次世界大戦が終結して、80年が経った。あの戦争で、世界はファシズムと核兵器とを体験して、戦争のない世界を作ることを望んだはずだった。しかし現実に起きたことは、さらに残虐さを増した戦争が、次々と起こっていくという事態だった。

80年も経つと、もう戦争を現実に体験した人たちは、ほとんどいなくなる。そうなったところで、あの戦争について、美化された物語が語られ始めるのだ。もちろん、どんな戦争だって、正義のためにやむを得なく行われるということになっている。しかし、現実に経験した戦争は、正義も何もないようなもので、現場で経験した人たちは、それをよく知っている。そして、もうあんなことは決して許さないと言い伝えてきたはずだった。
(中略)
第二次世界大戦で多くの日本人が犠牲になったけれど、それを英雄視するのでもなく、批判するのでもなく、その人たちの経験が何を私たちに伝えているのかを、読み取るべきではないのかと思う。戦後、幣原内閣が日本国憲法の中に戦争放棄を第9条に盛り込んだのは、核兵器に終わったあの悲惨な戦争をさんざんに経験していたからだった。武器開発競争が、核兵器まで来てしまったからには、世界は戦争を放棄する以外に、生き残る道はないと悟ったからだった。

世界でも最も悲惨で不条理な戦いを戦った日本だからこそ、その記憶によって、世界のためにできることがあるはずだと思うのだ。視野を狭めたら、同じ間違いを犯すことになる。しかし、視野を世界にまで広げたら、世界のために何か特別なことができるはずだと思う。

「キミらみたいなのは「海軍魂」を知らんだろうな」

People like you don’t know what “naval spirit” is.