恕(じょ)する
『豊かな人生を歩む方法』
信じることは「人間関係の基礎」ですよね。
「信用」というものが、もしなかったなら、
この社会や人間関係は成り立ちません。
例えば、
砂漠にある人と二人きりで取り残されたとします。
相手は水を持ち、あなたはお金を持っています。
喉が渇いたあなたに、
「これを飲みなさい」と相手が水を差し出してきました。
もしかすると、その水には
お金目当てで「毒」が混じっているかもしれません。
さて、あなたなら、どうしますか?
このような場合、相手を信用しない限り
いつまでも、あなたは喉を潤わすことができません。
この様に、「信用する」ということは、
人間が生きていくうえでの「絶対条件」となるようです。
世の中は「疑い深い人」が多いですが
先ずは人を信じてみましょう。
なぜなら、人を「騙す人」と「騙さない人」では、
「騙さない人」が圧倒的に多いからです。
(無条件で人を信じなさいと言っているのではありません。)
実は、「人を疑う人たち」というのは
「自分を信じていない人」のようです。
確かに、人を信用すると「騙される時」もあります。
その時は「許す」ことが必要なのです。
「許す」は「恕す」とも書きます。
「恕(じょ)する」とは、
「自分を思いやるように相手を思いやること」だそうです。
「恕(じょ)」と「怒(ど)」は似ていますが、全く「意味」が異なります。
怒りを抑えきれない孔子の弟子が
「どうしたら、この怒りを抑えることができるのですか!」と聞くと
孔子が一文字で示したのが『恕(じょ)』だったのです。
「怒り」に替えて「恕す」心をもつ・・
「罪を憎み、人を憎まず」と言う言葉があるように
人の過ちは許しましょう。
「罪を憎んでも人は許す」ことは、
「幸せへの道」には欠かせないものとなるでしょう。
なぜなら、許さないかぎり、「辛い人生」となるからです。
だから、何があっても「許すこと」が大事なのです。
「許して」、「こころ豊かな人生」を歩むのか?
「許さず」、「辛い人生」を歩むのか?
それは、その人の『器』次第となるでしょう。