「初心忘るべからず」
「初心忘るべからず」
これは、あの能楽の大成者、世阿弥(ぜあみ)の言葉です。
世阿弥は、
今から約750年前、室町時代に活躍した人物ですが
人の生きる道にも通じる芸の極意を数多く説いています。
世阿弥は室町時代という疾風怒濤の時代を生きました。
同業者の中には、観客や支援者から評判を得ようとして、
ともすれば芸が乱れがちな者もありました。
そうした風潮に危機感を抱いた世阿弥は、
独自の芸術論を展開し、
それを自ら実践することを通じて芸の本道を貫きました。
世阿弥がその80余年の生涯を通じて
書き残した芸術論や言葉は、
舞台芸術の枠を超え、
私たちにも人生の指針を示しています。
彼が様々な困難を乗り越えて己の芸を高め続けたこと、
そして懸命に生き続けたからではないでしょうか。
ここで冒頭の「初心忘るべからず」ですが
世阿弥の言葉の中でも最も有名な名言です。
しかし、若干誤解があるようです。
現代では、「物事を始めたときの気持ちを忘れるな」
という意味で使われることが多いようですが
世阿弥の説く「初心」は、芸の道に入って
修業を積んでいる段階での未熟さのことでした。
それは芸能者として未熟な年齢の者だけにあるのではなく、
各年齢に相応しい芸を修得した者にもあり、
幾度も積み重ねられるものだと言っています。
一生涯積み重ねてきた「初心」を忘れないために稽古を貫くこと、
そして、それを子孫に伝えていくことが世阿弥の「初心」論なのです。
また、「稽古は強(つよ)かれ、情識はなかれ、となり」
という言葉も残しています。
稽古はしっかり行い、
慢心による凝り固まった心を持ってはならない。
稽古とは、ただ練習をすることだけを指すものではありません。
芸を志す者にとっては舞台に立つことはもちろん、
日常のすべてを稽古と心得ることが大事なのだと説いています。
そして情識とは頑(かたくな)な心を意味します。
伸びる人は頑な心とは反対に、
素直な心を持つことが大切なようです。
世阿弥は、「昔はかくとばかり思うべからず」とも説き、
昔はこうやったのだからと、
それに固執し過ぎることを戒めてもいます。
大切なのは一つのことを守ることではありません。
その時々に観客が望むものに柔軟に応えて、
言葉を変え、曲を改めてきたからこそ、
世阿弥の能は長く人々に親しまれてきたのでしょう。
私たちも、常に初心(自分の未熟さを知ること)を忘れず、
素直な心で学ぶ姿勢が大切なのではないでしょうか?
ですから、どんな時も、
「まだまだ・・」
「どうすれば・・」と自問自答を繰り返しましょう。
「言葉はちから」です。
自分自身に問い掛ける言葉は素直な心をつくり
学ぶ姿勢を築くでしょう。