艱難辛苦(かんなんしんく)は宝
『幸せになることは義務』
私たちは、「何のために生まれてきたのでしょうか?」
私は、「幸せになるために生まれてきた。
幸せになることは義務」であると思っています。
そして人生は、その為の「修行の場」だと思います。
結婚も、
子育ても、
仕事も、
恋愛も、
病も、
老化も、
生きることすべてが「修行」なのです。
では、「何を、どう修行するのか」です。
それは、
どんなことがあっても・・
何があっても・・
すべてを受け入れて『感謝』をする修行です。
「何があっても・・」です。
文句や、不平を持ったり、言ったならば、
修行ではなくなります。
理由は・・
この世で起こるすべてのことは、
「神仏の私たちに対する愛の現れ」であり、
「私たちを完成させるために用意したもの」だからです。
話を最初に戻りますが、
「私たちは幸せになるために生まれてきました」
しかし、人生は良いこと(私たちにとって都合の良いこと)
だらけではありません。
人生において起こる良いことは「宝」であり、
悪いこと(私たちにとって都合の悪いこと)は、「財産」なのです。
「艱難辛苦(かんなんしんく)、玉となる」という言葉がありますが
人は、「苦しいこと」、「辛いこと」、「大変なこと」があるときこそ
「きれいな、きれいな・・」『玉』となるのです。
艱難辛苦は神が私たちに与えた「財産」なのですが
多くの方は、「逃げたり」、「文句を言ったり」という
神仏を敵にまわすような行為をしてしまうようです。
では、どうすれば・・
財産(嫌なこと、辛いことなど)を素直に受け入れ、
すべてに対して、「ありがとう」と感謝することです。
だから、朝、目を覚ましたら、
「私はどんなことがあろうが・・」
「何があろうが・・」
「すべてを受け入れて感謝をします」と誓いましょう