「ものみな真理の門」
「ものみな真理の門」
心本来の姿を見失うのは、多くの場合、雑念に
よって揺れ動いているからである。無心になって、
一人静かに座っていれば、流れる雲にゆったりと
身を託すこともできるし、雨の雫に心を洗うことも
できる。また、鳥の鳴く声を聞いてはともに心を
楽しませ、花の散るのを見てはふと心に悟るとこ
ろがあるにちがいない。
こうなれば、身を置く所すべてが真理を宿した世界
目に触れる物すべてが真理を会得する機会となる。
●こちらが無心になって接することができれば、必ず
なにかを悟ることができるのだという。